つれづれなるままに!

2019年07月05日

庭の片隅で控えめに咲く、
擬宝珠(ギボウシ)の花



無性に何か、書き残して置きたくって・・・・。

書いては、読み返して、
間違った漢字を直したり、
読みずらい所は、言葉を変えたり。

これって、脳トレになると思う。
呆け防止なのだわ
icon10



何をやるにも一生懸命。
競うことは好まず。
自分の心が喜ぶままに、
好きなことを愉しみ、
しばしそれに身をまかせる。
満足出来たら、一旦小休止。


私の習い事と言えば、
小学生の時、お隣の電気屋さんに
ある時(東芝音楽教室)が出来る事になり、
「masakoちゃんやってみるかい」
祖母が電子オルガンを買ってくれた。
流れのままに入会した、エレクトーン教室。
どのくらいやってたかな?


小学校の高学年になり、
教室に貼り出された、お正月休みの宿題
書き初めの作品が、教室に貼られ、
すごく上手に書かれた友達の作品を見て、
何人かが、書道塾に通ってるのだと知る。
「私も上手になりたい」と母に頼み込んだ!
そして書道を習うことになった。
遅ればせながらの入門で、下の学年の子と、
机を並べて、1人で黙々と練習した。
県展などで入賞すると、
その通知は中学校に届き、担任から受け取った。


中学校の1.2年は合唱部
部員が少なかった。icon10

3年になり新設された演劇部に入部。
役どころは、お母さんだった。
文化祭の発表の時、
衣裳も、自分で縫った。
カーテン生地で、ロングスカートをギャザーたっぷりに、
しかも総ゴム仕様で。
そしたら(カーテンが歩いてる)って言われた(笑)
しかも、第2幕では、子供役も掛け持ちして。
まぁ~愉しかったから、良しとして、
食事シーンでは、鍋にフルーツポンチを入れて、
実際に食したよ。



保育園のお遊戯会の劇も、
「7匹の子やぎ」のお母さん役。
合奏では、大太鼓叩いて、母を驚かせた。
最初に担当した男の子の太鼓が、
弱々しかったから、私にまわって来たって感じ。


高校の3年間は、羽球部(バドミントン)
強い選手ではなかったけれど、
一生懸命汗を流して愉しんだよ。


あとは、
OL時代の(ブラザー編み物教室)
毎月積立てして貯めたお金で、
ミシンと、編み機と、ゴム編み機が来て、
週に1回教室に通った。
実用的で、形になって、愉しかった。
たくさん編みましたよ!

嫁に来てからは、

子供たちが大きくなってから、
月1回の水彩画教室を1年間、
小学校の恩師の運転手を引き受け、
一緒にお供して参加させて頂いた。

絵の書き方は、教わるものではなく、
見て真似て、ひとつずつ身に付けるもの。
と初めて体験したものです。
講師の先生のすぐ後ろの席を、
いつも狙って座ってた。
最後の寸評は、参加者の絵が並べられ、
先生の言葉で指導していただく。
人は誉められて才能を伸ばす事ができる。
そう教えて頂いたように感じる。
習い始めて1年になる少し前、
高齢の先生が入院され、会は自然消滅。


それ以来、しばらく絵筆は持たなかった。

私の中で不完全燃焼だったようで、
その後(絵手紙の世界)を知ることになるのです。


カルチャーセンターに通うなんて、無理・無理・無理!
3人の子供達のスイミングスクールや、英語塾、
野球や、バレーボールの送迎や、保護者会のサポート、
地域のPTA活動など、
自分のことは、隙間時間をなんとか作ること。

地域の仲間と、月1回の集まり。
お茶会もまた愉しかった。
地域の公会堂に夕飯のあと、集まって、
歌集をひらいて、歌を歌ったり、手芸をしたり、
途中から、絵手紙も始めたのでありました。

その仲間の活動が終わりを迎え!
時を同じくして、
blogの世界の扉を開けたのでありました。

自分の描いた絵手紙を大勢の方に見て頂き、
それが嬉しくて、1日1枚なんて目標をつくり、
せっせと描きためてきて、
そんな噂を聞き付けて下さって、
(たくさんの絵手紙)の展示を勧められ、
銀行さんのロビー展など、
それは、初めての経験でした。
中でも、松代の武家屋敷・旧樋口家での、
絵手紙展では、
たくさんのBloggerさんが、訪ねて来て下さって、
いろんな方との出逢いがありました。

日頃blogの中で交流していたBloggerさんと、
実際にお逢いできたことで、
私の平凡な毎日にも、刺激がいっぱい。
我が人生に彩りを添えて頂き、
ほんとうに、ほんとうに、感謝いっぱいでした。

どんどん友達・仲間の輪がひろがって、
私の50代は、すごく充実した毎日を過ごし、
遅ればせながら、いろいろな経験を、
させていただきました。

そして、ふと、ひと息ついたとき、
今まで出逢いをはぐくんできた、
リアル友と過ごす時間が、なくなっていた事に、
気づいたのでありました。

blogの世界にとっぷり浸かってた私は、
ハッといたしました。

それからの私は、
自然にまかせながらも、
いままでの私を支えてくれた友達・仲間に、
私にできることで、
感謝の気持ちを返して行きたいと、
新たな目標を掲げました。

さて、何ができるかなぁ。

会社でも若い人達の頑張りを目にしながら、
私も還暦を迎え、仕事も整理しながら、
次世代へ引き継ぐ準備を始めました。

やはり、すべてに能力が落ちて来ています。
これまで、事務職でやって来ましたが、
文明の器機にも、やっとこさっとこ、
ついて来ましたが、限界を感じています。

今の若者たちの高いスキルとは、
比べものになりません。

自分達世代が、生きてきた時代は、
どんどん色褪せて参ります。
それは自然な流れであって、
受け入れて行かねばなりません。

若者達が立派な事を言うようになった段階で、
成長の証と捉え、喜ばねばなりません。
そして、いよいよ、
年より組は、引退して行く準備を始める、
そんな目安と思っております。

引き際も大事ですね。

ただ、私の場合、
お家にはまだまだ元気な95歳の大姑様が、
いらっしゃいますので、
自宅に入り、またまた古い嫁&姑の、
日々の生活は、きっといろいろな軋轢を、
生む事になるでしょうから、
私の仕事を、後継者であるお嫁ちゃんに、
おまかせしながら、まだまだ、会社に残り、
手伝って行きたいと、思ってます。





diary
ながながお付き合い下さり、ありがとうございます。
いろいろ書き残しておきたいんだ。
(*^^*;)